たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

悪意を持つモノ

私に悪意を持つモノがどこかに存在する。
それは、私を苦しめる。
極限まで苦しめる。
しかし、そこで止める。
私は、だから死ねないし狂えないし倒れたままでいられない。
楽にしてはもらえない。
楽になる前に、次の苦しみに耐えられるだけ復活させられる。
ほら、やっぱりまたそうじゃないか。
今度こそ希望を持たなくてよかった。
やっぱりね。
このまま楽になる方へ向かうわけが無いんだ。
だって今までずっとそうだったもの。
大変予定の前に少しでも休養をと思うと前倒しで虱被害にあったり、忙しい時にかぎって年一度のお手伝いが入ったり、行事の合間合間に順番にこどもが不調になったり、珍しく一週間予定の無い時には自分が熱を出したりすることになっている。
何時からだろう?
ソルを産んだ後はもうボロボロだったけど、ルナの一歳半検診の時にはとどめを刺される寸前で、その前の月には流産している。
それまでも、せめて一日でいいから休みがほしいとずっと誕生日前から思い続けていてかなっていなかったし。
こども産んで世話を始めて、弱い生き物になったから恰好の餌食にされたんだろうか。
こどもは好きで産んだが、だからといって悪意を持つモノに苦しめられる義理は無いんだが。
でもずっといる。
助けは常にちょっと足りないけど無理すれば大丈夫なくらい、必ず確保されるし、病気になっても数日寝込んだら病み上がり前にむりやり動いてこどもの世話を始める程度には回復する。
ほんとにすごい。
死にたいと思った事は無いが、私は死ねない。
狂いたいと思った事はちょっとしかないが私は狂えない。
倒れたいと思った事は時々あるがきちんと回復するまで倒れている事はできない。


ふん。
今回はなあ、どうせまだなんか絶対あると思ってたよ。
やっともろもろ終わったなんて安心してなんかいなかったんだよ。
ざまあみろ。


きっと、まだ当分私は死なない。狂わない。せいぜい二日程度しか倒れない。
どうせなら、自分のこどもたちのこどもの世話を手伝う必要がなくなるまで、死にたくないし狂いたくないし倒れたくない。
二、三十年じゃ、まだまだ子育て環境は劇的に変わらないだろう。
自分世代にも前世代の呪いがかかった人はまだまだ多い。
完全淘汰は無理だろう。
だから、こどもたちには私が得られなかったものを与え、欲しくなかったものを退けたい。


その時に、悪意を持つモノがまだ残っていたら、きっとやれやれやっと自分のための老後を愉しむぞー、と思ったとたんに死ぬか狂うか倒れるのかな。
その中だったら死ぬのがいいな。
保険も85歳までで十分だし。
逆に狂ったり倒れたりすると自分も家族もつらいだろうし。
ああ、でもそれこそ残っていたら、あっさり死ぬ事はできないのかな。


でも、今度から「おかあさんしなないでー!」と言われたら、自信を持って「うん、死なないよ。(助けと守りとして必要がなくなるまで)」と答えることにしよう。
万が一約束が守れなかった場合は、ごめんね。
先に謝っておくよ。
だから幸せを感じることができる人生を送って欲しい。