たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

学生さんは理想に燃えた夢を見るか?

え?違う?


それはさておき。
私は多くの友達より長く学生をやっていたので、親しい友達は皆社会人で自分だけ学生という時があった。
そのころ、ある友達と(多分仕事についての)話をしたときに、
「それは学生さんの考え方だよ〜。」
と言われた。
はっきり言ってものすごく不愉快だった。
明らかに私を馬鹿にした態度がありありだったのだ。


そして、超氷河期に卒業し、一年上の先輩までもが就職関係の状況の悲惨さに驚くような中、私は社会人になった。
社会人になると、その友達のせりふ自体にはとても納得がいった。
しかしあの人を馬鹿にした態度は、今でも覚えているくらい嫌な、馬鹿にされた事実として残っている。
鼻で笑うような、やれやれというようなあの表情。
そういう態度に出られたことについては今でも納得がいかない。
それでも、ああ、たしかに世の中を知らない、自分の周りの世界しか知らないからそう思えたんだなと言うことはよくわかった。


しかし、更に年齢を重ねて今思う。
学生が理想に燃えられない社会のほうが不健全だろう?
だいたい、それこそ学生の時なんて学校が上になればなるほど似たようなタイプの人たちに濃縮されていく。
そこで専門馬鹿なことにどっぷり浸かるんだ。
そんな毎日を精力的に生きていれば、そりゃあ理想に燃えるってもんだ。
しかもまだ世の中の理不尽さを知らないんだから。


そんな恵まれた状況にありながら、既に世の中に期待をできない学生ばかりだったら…
それはあまりにも不健全な社会ではないか?
取り掛かる前から「どーせできないよ。やっても無駄だ。」とさめている学生ばかりの国。
恐ろしくないか?
だから、
「そりゃ学生だもん、あたりまえじゃない。学生が理想を語れなくてどうするの。」
と、今なら言える。
せめて学生にはそうあってほしい、まだそう思えるだけの力をもった社会であって欲しい。


そして、理想に燃える学生は、それと同時に、謙虚であれ、と思う。
世の中には理不尽がいっぱいだ。
そんなところで理想論だけをがなりたてても、誰にも聞き入れられないだろう。
運が良くて、傷のなめあいをする同志が見つかる程度だ。
それに、先人も確かに理想を持っていたはずなんだ。
それがどうしてそうなるか、必ず理由がある。
だから、なぜそうなのか、きちんとわかることができるよう、人の話を聞きいれよう。
それをどうにかするだけの何かを持っているならばなおさらだ。
謙虚であれ。愛されるんだ。
理想を現実のものにする可能性を得るために。


そして、若者が理想に燃えることができる社会を作るのは、大人の義務だ。
若者は大人たちを見ているんだから。