たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

くたくた

先週の日曜からなんとか声を出してしゃべることができるようになった。
火曜から、家事をするために動くことが苦ではなくなった。
そこでやっと病気が治ったんだろう。
ほぼ半月かかった。
まだしばらく咳が出て声もがらがらしているが、動けるようになったからやっと「病み上がり」になれた。
当然すぐにするのは「片づけ」。
特に、台所。
まあ苦ではない状態で一日やったらすぐにきれいにはなった。
病気だと何日かかってもできないのに、病み上がりでも一日あれば片付くんだよね。
むかつく。
そして他のところも少しずつ片づけて、結局延期と中止になった家庭訪問なども病み上がりの中こなして、奉仕作業という名の強制労働にも参加した。
大きいの一件、奉仕作業じゃないけど、小さいいわゆる当番一軒、中くらいの一件に、毎週の距離が長めのこども達の送迎をはさみ参加。
ええまだ咳も出るし動くとゼイゼイいうのもひどくなる状態ですよ。
それでも延期になるほうがもっとしんどいのはわかっているからさっさと終わらせるために参加。
あ、ちなみにまだ「病気」の時の別の強制労働は流石に延期した。
(これも中止とか免除にはならないから、気候のいい時期に終わらせたかったんだが、参加したら一日や二日寝込んだって終わらない、つまりもっとひどい状態になるのはよくわかっているのでしぶしぶ(?)延期。)
予想通り疲れてクタクタで、日曜午後休んでもろくに復活もせず(想定内)、しかも今週初めお弁当続きで(まだ終わってない)夜もよく眠れず、せっかくきれいになった台所はすぐに散らかり、片づけ途中の部屋は少しずつ崩され荒らされている。
はい、「ボランティアに姿を借りた強制労働」なんか大っ嫌いだ。
何で自分の健康と家族の安らぎを犠牲にしてまでやらされないといけないのか。
まあね、某先生なんかは調子悪いのにしなくていいよ〜、人数多いんだしこどもだけ出して(出欠名簿に)○つけたら帰れば?、なんて笑いながら(しかし本気で)言ってくれたんだけど、そう思ってくれる人は限りなくいないのよ。
したくない強制労働をやっている人から見ればしない人はまとめて「ずるい」になるんだよ。
正直ただのさぼりの人とは(一定数いる。これこそふざけんなだけど、そういう人はもうどうにもならない。滅びろ。ああ、具体的に名前を広めてやりたい。しないけど。)同じにしてほしくないんだけど、同じにされるからね。
で、へたすると後々尾を引く面倒なことを生み出す可能性がある。
そういうのがよくわかってるから無理して参加してきたよ!
自分、打たれ弱いしね!
ボランティアなんて本来余裕のある人のすることだと心の底から思ったよ。
めんどくさいー、いやだなー、やりたくないー、でぶちぶちやって済む間はまだ余裕があるってことなんだよ。
そしてほとんどはその層だ。
こういう時に、代行作業するビジネスは……滅私奉公素敵!な日本では流行らないか。
あ、どんなに家族や自分が犠牲になろうとも、ボランティアしてる私って素敵!系の人は、また違うカテゴリなので話がずれるからそれは別にしておいてください。
というぐちをずっとつぶやきたかったけど、思いを文章にするのも(どんな駄文であれ)それ自体がしんどかった(笑)


あー、そして休む暇どころかせっかくきれいになったところをその状態にも一度復帰させる間もなく次の用事や週末が来てまた別の強制労働やら送迎やら行事やらが……


こんな状態だとこどもの学校行事も楽しみなんかなくて負担でしかない。
この悲しさをわかってくれる人はどれだけいるんだろう。
なんか、書いてて涙出てきたなー………
とりあえず読み返して、ホントは書きたいけど……なとこだけ削って終わり。