たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

だからいつも母親を助けろと言っている

でも、殺してもいいわけじゃないんだよ!


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080922-OYT1T00188.htm?from=nwla


普段の育児環境はどうだったのだろう。
母親の健康状態は悪かったようだが。
正気だったら、こどもを殺したって絶対に楽にはならないとわかるだろうに。


トリガーは、幼稚園から小学校への変化、だろうか。
大目に見てもらえていたことが、急にだめになる時期だ。
どうしてかわいい我が子を手にかけるような事態が起こってしまうのか。
わからなくも無いだけに悲しい。
今の世は所詮そういう社会だと常に痛感している。
こどもが新幹線に乗車しただけで、騒がなくても、他の大人の声の方が大きくても、ちらちらと様子を伺う人間が複数人いる世の中だしね。


なぜ、母親だけが、我が子を(発作的に?)殺すほど追い詰められていたのか。
どうして殺さずに済むレベルの手助けを、夫は、関係者は誰もしなかったのか。
ちょっと手伝ったって、ちゃんと助けにつながらないと「手伝ってやったという自己満足」を持つ人と、「結局自分ひとりが苦しむだけだという絶望感」を持つ人ができるだけだからね。
「だからいつも言ってたじゃないか。」
「母親を助けろ。」って。
現場の人わかってる人が多いけど数が圧倒的に少ないんだよ……


まともに子育てしたこと無い人や、環境に恵まれていた人なんかは、鬼の首を取ったかのように母親叩きをして溜飲を下げるんだろう。
そして、追い詰められる母親が増えていくんだ。
堪忍袋が酷使されてほころびている状態で、こどもに怒鳴るたびに、もしこれで虐待通報なんかされたら、それがトリガーで狂っちゃいそうと思う私のように。*1
半年前に私の一部が修復不可能に壊れたように。
我を忘れて気が済むまでこどもを叩き続けたりするほど壊れたらどうしようと言う恐怖も抱えながら…
もっともっと壊れちゃう何かが一気に来たんだろう。
文句付ける前に手伝えよとずっとエライ人たちや幸せな人たちには言ってきてるけど、それは、母親を助けたらこどもも母親もその家族もみんな幸せにつながるからそう言ってるんだ。


母親叩きをしたい人は、こういう悲しい母子を増やすだけだと肝に銘じよ。
叩くことでなく、助けることが、このような事件を無くすんだ。
え?こどもや母親のために、助けようなんて思ってないって?
所詮気兼ねなく叩ける相手を見つけて自分がすっきりしてるだけだって?
そんなヒトデナシには用は無い。
私は、この思いが伝わる可能性がある人に、そう言っているんだ。
私は、こどもを幸せにしたいんだ。


きっと母親は正気に戻った時に、自分自身から罰を受けることになるだろう。
決して逃げられない罰を。
我が子のために、一生償い続けなければならない。


参考:
でも、先日これを知って、かなり助けられた。
私の言ってることと同じじゃん。
世間ではまだまだそう認識されてなさそうなのが、次のハードルだけど。

法が定める連絡(通告)の義務は、親を処罰するためではありません。地域の皆で悩んでいる親を支えて、子どもを守ることが法律の目的です。

ちなみに、夫がいるとき静かなのは、こどもの世話をする人間が倍になってるから、その分気持ちに余裕ができてるからであって、体裁を整えてるわけじゃないと思う。
少なくとも私はそうだ。
全部自分ひとりで抱え込まなくていいことの安心感が、余裕をもたらすんだよ。

*1:私が虐待の疑いをかけられると言うことは、私の大変さも頑張りもこどもへの愛情も全く理解していない人がいて、そんな人に私のしてきたことをすべて否定されるようなことだから。心を殺されるような感じか。あくまで私自身の場合であって、一般論ではないので念のため。