たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

こうのとりのゆりかご

もしくは赤ちゃんポスト
どちらの名前を定着させたいんだろう?設置者は。
そっちのほうの名前を使いたいと思うんだけど、ちょっとわかんない。


赤ちゃんポストについての意見(是非共に)で違和感を感じるところがよくある。
というか、全くわかってないなー、と思うところ。
それは、赤ちゃんを連れて行く人の精神状態が普通であることを前提に意見を述べているところ。
私は、今の日本で、本来の目的で赤ちゃんポストが使われる時には、そしてそれが産んだ本人によるものならば、多かれ少なかれ精神的にまいっている状態だと思う。
だから、衝動的・発作的に赤ちゃんを連れてきてしまい、そこで幾重にも助ける手が差し伸べられていたら、母子共にものすごく救われると思う。
明確に、赤ちゃんを捨てたいと思って連れてくる人には無意味な呼びかけだろう。
しかし、そうでない人のための施設なのではないか?あれは?
赤ちゃんを助けたい人のためのもの。
そういえば、ゴミ捨て場に放置された赤ちゃんは、それでもちゃんと「三日分のお弁当」をもらっていたんだね。
お弁当が無くなる前に、安全なところへ行けてよかったね。
その後は、児童養護施設の話を聞くと問題無しとはいえないけど、あなたの命はあなたのものだ。
大事に、存分に一生を活用して生きてください。


……


だから、なんだかあちこちでの意見では、(母)親は熟考したり、責任放棄する意思を持っていたり、と考えている人が多いけど、そうじゃないんじゃないかなあ…って思うんだよね。
なんていうか、こどもが可愛くないお母さんっていないと思うんだよね。
心身ともに健康ならば。
そうじゃない人は、何らかの病気か障害かを抱えているからなんじゃないかな、って思っている。
だから、治るものなら治してあげればいいし、治らないものなら*1こどもを引き離してどうにか救える状況があって欲しい。
そういう件で親を責めていいのは、そのこども本人だけだよ。
少なくとも叱ったり意見したりできるのは、何らかの効果のある手助けをした人だけだよ。


ああ、どうにもまとまらない。
これもまだまだ頭の中で練られていきそうな課題。


つづく。

*1:ただそれにも原因があるものと先天的なものとに分かれるようだけど