たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

ふと思った

いじめ自殺報道で、死なないでとこどもに呼びかけている。
その呼びかけは、育児で(主に精神的に)つらい思いをしている母親への呼びかけと同じだ…
まあ、平気で母親を傷つけることを声高に叫んでいる人はエライ人たちにもいっぱいいるしな。


でも、私は死なないよ。自分の意思で。


最近は、こどもがかわいくてたまらないことと、子育ての辛くて助けて欲しい部分とは完全別物なんだと思っているから。
こどもは、辛くなれば、お母さんに逃げて。
お母さんはね、とにかくこどもには生きていて欲しいんだから。
死ぬくらいなら、私のところへ逃げてきて欲しい。
でもそのお母さんが逃げ場になれないほど辛くて弱っていたら、どうすればいいんだろう?
お母さんのちょっとした手助けは、自分が動けば手に入れることができる。
弾みがつくと、もっと手に入るし、運良く手にする機会も増える。
一番初めに自分が動かないといけないから、弱りきってしまう前に動かないといけないのがネックだ。
だいたい、頑張って頑張って動けなくなっちゃうもんだから、余力が残ってなかったりするんだよね。
と思うと、やっぱり小さいこどもの定期的な検診はお母さんにもいいのかも。
私も大元のきっかけはそれだったよ。
実際は、兄弟がいると行くのは大変だったりもするけどね。


ちょっとそれたか。
こどもの助けより、お母さんの助けのほうが他人がするにはやりやすいと思う。
あー、でも、こどもにいじめが出てくる年齢になると、また状況は違うんだろうか。
でも、それでも逃げ場になれないお母さんを責めるより、逃げ場になれるようにケアしてあげるほうがいいんじゃないのかなあ?
そしたら、こどもはお母さんに逃げ込める。
一人を助けることで、二人が助かる。
うーん、この辺はまだ考えをまとめられないな。


ただ、やっぱり、虐められているこどもへの救いの呼びかけは、子育てでココロが辛くなっているお母さんへの呼びかけと同じだなあ、と思う。