たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

少し形になった思考

「働かざるもの食うべからず」というのは、普遍的ではない。
「身の丈を知れ」というほうが核心を突いている。


食うに困らず、それどころか飽食可能で、食う以外の欲求も我慢とは無縁なら、働かないとダメだ!!!ってなる人、どんくらいいる?
その人が働いて、働けないと食えない人がはじき出されちゃうかもよ。


そして、働かなきゃ食えないから働いている人でも、能力、努力、需要と供給、それらを無視してもっと金くれと言っても無理だ。
希望と現実を照らし合わせて実現可能なところへ向かうしかない。
その向かいたいところは人それぞれだ。
それでも、到達するとより多くのものを求めるようになるから、多くの人はずっと努力をし続けていくのだろう。


そこで、すでに持っているもの以上のことを求めて努力したい人はいくらでも努力できるような、機会の平等と言うやつがいきてくるんだろう。
人によって努力割合が違うのはどうしようもない。
個性も環境もみんな違うんだから。
(例えば、私は今から頑張ったら小児科医になれるかなと思うけれど、相当頑張りが必要だろうし、どんなに頑張ってもプロテニスプレーヤーにはなれないだろう。※職業は自分の適性を踏まえたたとえ)
決して努力しない人が楽しておこぼれに預かるための結果の平等ではない。
頑張らないで助けられてきた人には、そのつけがかならずまわってくる。
本人が苦しむだけならある意味自業自得だが、そんな人に振り回されている人は大変だよ?
なにしろ、他人は自分を助けるために存在すると思っちゃってるんだから。
そして、手柄は全部自分のおかげ、都合悪いことは全部人のせい。
ああ、モラハラ加害者の特徴の一部だな。


ちょっと脱線。


無責任な外野に自分の進む道を乱されないように、なるべく回り道をしすぎて無駄な努力ばかり重ねないように、見極めねば。