たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

ヒーロー

少し前に、相棒に今のこども番組の中で、最もヒーローたるヒーローは誰だと思うか聞かれた。


……アンパンマン


正解だった。(相棒的に)


まあ、そうだろうな。
アンパンマンの話って、一見おこちゃまむけの優等生話に見えんこともないが、ところがどっこい、あれはリアルで厳しい。
結構シビアだ。
だけど、優しい。
こどもが見ているのを横で目の端に入れる程度なのだが、それでもよくわかってきた。


ジャムおじさんアンパンマン以外のキャラクターは、下手な説教のような偽善の具現化ではなく、近くにいる誰かの代理だ。
誰も彼も、大人に都合のいい「いい子」や、非の打ち所のない「優等生」ではない。
ただ、居場所が善によっているだけだ。
だから、わがままも言うし、甘えるし、時には嘘もつくし、こっそりズルしようともする。
みんなお互い様。
だから、だめだよということは指摘するし、指摘されて納得してごめんなさいが言える。
そうすることで、人とのかかわりを学び、日々成長していくのだ。


ジャムおじさんアンパンマンは、そのこどもの国の中での、大人のあるべき姿のような気がする。
だから、初対面の人がなぜかばいきんまんにころっとだまされてアンパンマンを悪者扱いしてきても、アンパンマンは実力を見せることで自ら誤解を解き、間違っていたこどもを許すのだ。
許すときに、決して許すための条件をつけたりしない。
もちろん、こどもに好かれるための条件、ちょっとおちゃめなところももっている。
(「アンパンマンとはっぴーおたんじょうび」でばいきんまんをおちょくるアンパンマンはやけに面白い。)


ばいきんまんは、わかりやすい悪いことの見本だ。
ぼくにもひとつちょうだい、と言えばもらえるであろう食べ物を、おれさまにぜんぶよこせー!と暴力的に奪っていこうとしていつもアンパンマンに成敗され失敗する。
そして、自分の悪行は棚上げしてアンパンマンを逆恨みする。
みんなおれさまに従うのだー!という、わかりやすいお山の大将っぷり。
ドキンちゃんは、積極的な攻撃は仕掛けないけれど、自分のために他人がどうなろうと知ったこっちゃない、それよりも私のために動きなさいよ!といったこちらもわかりやすいわがまま自己中の典型だ。
バブルのころには、ドキンちゃんと大勢のホラーマンがそこかしこにいただろう(笑)
しかし、絶対的な悪ではなく、「悪いこと、いけないことをする子」の代理なので、切り捨てられることなく、なんだかんだとちょっかい出してはかかわってきている。
だからよくアンパンマンを見ているときに、「ひとつちょうだいって言えばいいのにねえ。」、とか、「お願い、やって、と言えばいいのにねえ。なんでそうしないんだろ。」とこどもと話している。
そういうことが自然とできるお話なのだ。


これらは私の感想だが、そんなキャラクターを作っていったやなせたかしってすごいんだなと思ってしまう。
ひとつひとつお話を創っていく間に創られていったキャラクターと世界観。
そして、それは作者の信念なのだろう。
わたしはそれがとても好きだ。
決して甘くない。むしろ厳しいんだけど、とても優しい。
そんな人になってね、と、こどもや大人に語りかけているのだろうか。


うちの娘と付き合いたいんなら、アンパンマンのような人間になって来い!と、将来、言うときがくるかもしれない(笑)