たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

ソルちゃんのいさみあし(2)

(続き。1から順にお読みください。)


しかし、その後たまに、おりものに血が混ざっているかな?という時があったり、おりものの量が多いかな?と思うときがあったり、ちょっとおなかが痛いかな?と思うときがあったり、つわりがあまりひどくならないな?と思ったり…
なにしろ時期的には何かあってもおかしくない時期ではあるので、気にせずにはいられませんでした。
が、2回目の検診から3週間ほどたった頃、やはりおりものに血が混ざることがたびたびあり、その量が増えだしたのでさすがに気になって病院へ行きました。


内診の時に少し時間が長めだなあ、やっぱり何かあるのかなぁ、と思ってはいたんですよ。
その結果、赤ちゃんのふくろは大きくなっているが、そろそろ確認できてもいい頃なのにまだ赤ちゃんの心音が確認できない、単に成長が遅いだけかもしれないが、もしかしたら稽留流産かも知れない、1週間後また来るように、と言われました。
もしも、耐え切れないほどの(生理痛よりひどい)痛みや多量の出血があればすぐに来るようにとも言われました。


それから数日はまだ希望を持って、来週には赤ちゃんも見えるさ、と思って(思うようにして)いました。
しかし、少しずつですが確実に、日に日に血の量が増え、おなかの痛みも増していきました。
希望は捨てていないものの、トイレに行くたびに泣きそうな気分でした。
週の後半になると、どんどん血の色も鮮やかになり、希望が「もし何があってもパニックを起こさないようにしよう」というあきらめに変わり始めていました。


検診予定日の月曜が明後日にせまった土曜日の午後に、痛みが強くなり始めました。
これはどの程度の痛みなんだろうか?
正直、普段から生理痛がひどいので、それよりひどい痛みとなると、もう相当やばいんじゃないの?と思っていたし、土日にかかるので、なんとか月曜まで持って欲しいと思っていましたが、結局12/1、日曜の夜、ずきんずきんと大きな痛みがきはじめたので、病院に連絡して受診しました。


内診。
すでに流産が始まっている。
稽留流産とは、胎内で胎児は死亡しているがまだとどまっている状態。体がその状態に気づいたら異物を排出しようとし、流産が始まる。)
一時的にこれ以上痛くならないような処置──赤ちゃんのふくろを取り出した──をした。
(食事を取っていたので麻酔がかけられず手術はできなかった。)
次の日の朝検診し、その後手術をするかどうか決定。


確かに覚悟はしていました。でも、それでもまだ希望も捨て切れていませんでした。
子宮内に腫瘍があったけど赤ちゃんは無事に育つよ、なんていうことなら耐えてみせるから、と思っていました。
もし流産確定を告げられたら、精神的にきついので、月曜の検診は相棒についてきてもらう約束もしていました。
しかし、私にはそういった精神的ダメージを受ける機会は与えられませんでした。
しかも、悪い方の場合の予感はあったので、パニックを起こす間も与えられませんでした。


その夜、帰宅後に、多量とまでは行きませんが多目の出血とともにレバーのような塊が出てきました。
塊に白い部分があったので、ルナちゃんを生んだときの胎盤を思い出し、ああ、脂肪なんだ、と思いました。
その後出血の量が減り始め、少し体が楽になりました。


ああ、終わったからなんだな……