たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

お食い初め

at 2001 11/12 12:41 編集

 先日、ぶじめだまやきJr.が百日を迎え、お食い初めのお膳を作りました。


 私も相棒も実家は遠いので(私は片道8時間と5万円くらいかかるんじゃないかな)写真も写真館で撮って、できあがったら実家にも送る予定。
Jr.がわりとご機嫌な日で良かった。


 食器はお宮参りの時に神社でもらった塗り物の物と、同じ時にはやばやとJr.のおばあちゃん(相棒のお母さん)からもらった赤ちゃん用食器。
小さなお茶碗やお椀が何とも言えないかわいらしさ。


 そして、このあたりの風習を全く知らないので、雑誌などを見ながら、お赤飯、お吸い物、梅干し、煮物、鯛の尾頭付きをそろえてお祝い。
ふだんの生活のための炊事ってめんどくさくて嫌いなんですが、(おなかがすかなければ食べなくていいのに〜とさえ思う)こういうイベント物は大好きなので楽しく作りました。
作りながら、ものごごろつく前は、(現代では)親のためのイベントだよなーと思いつつも、
自分の時も親はこうやって嬉しそうにしてくれたんだろうと思うと嬉しい気持ちになってきました。
こういうものなんですね。ほんと。自分が親になってみて初めてわかることがいっぱいです。


 もちろん作ったお膳や儀式として食べさせるまねの写真も撮りました。
だいぶ首がすわりはじめたので、見ようによっちゃあほんとにJr.が食べようとしているように見える物もあって楽しい。デジカメってほんと便利だわ。


 こういった儀式やイベントというのは、今ではだいぶ意味が薄れた物や、社会情勢にあわない物もあると思うけれど、一番大切なのはその気持ちだと思っています。
時期を迎えたり、お祝いだったり、季節の変わり目だったり、それをとらえた気持ち。
だから、無理をしてまでとか、何が何でもするようになんて他の人にいわれると誰がするかと思っちゃうんだけど、
はじめっから意味無いことはしないと言い切ってしまっているのは、変化や嬉しい気持ちを表すことまで否定しているように感じるのでそれも好きじゃないんだよね。
どっちもベクトル的には違ってもスカラーは同じ感じ。
大切な人や物のためには、できることは喜んでしてあげたいと思う気持ち。そういうものはあってもいいでしょ?


 理由を付けて何かをするのもしないのも、究極的に自己満足なんだとしたら、楽しく嬉しい気分で、その時無理なくできることをしたい。


 なんて事を、考えたりしていました。まあ、以前から思っていたことで、まだうまく言葉にはできていないんだけど。
四季折々の変化のあるところに住んでいるから、Jr.にも、それを感じながら大きくなっていって欲しいと思います。