たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

病気だった

数年前から体調を崩していた薫容疑者は06年、全身に痛みが走る「線維筋痛症」と診断された。


以前言及したからこれも。
夫本人が自分の責任を認めてマスコミに出てくるのは珍しい。
まあ、珍しいからこそ大多数の出てこない夫や出さないマスコミや世間に普段憤りを感じているわけだが。
妻がおかしくなったら、その原因が夫に皆無なわけが無い。
そして、やっぱり病気だったんだ。
確か、母親が犯人とわかってすぐくらいのどっかの記事で、警察だったかが、「(容疑者は)病気には見えなかった。」と言ったとわざわざ書いてあるのを見た。
見た目でわからない病気かもしれないと、思いもしなかったのだろう。
けど、こどもに何かをしてしまう人って、それこそ、目に見えない病気の人が多いんじゃないの?
だいだい、25人に1人だか5%だかと言われている、もともと壊れている人でなければ、我が子を虐待したり殺したり、したくてする親がどこにいるというのか。
健康自慢で元気いっぱいで、ずうずうしいくらいに図太くて、どんな大変な世話や精神的負担も頑張っちゃっても倒れたり疲れたりしないで済むような人だったら、そもそも虐待なんか出てくるわけ無いじゃないか。
病気だったり、病的だったり、そういう時だけだよ…
まあ、ろくに子育てしなかったりものすごく恵まれていたりしたらわからないんだろうな。
子育てで、少しでも大変な思いをしたことがあれば、自分は虐待しなくても、虐待につながってしまう人の、つながってしまった部分を想像する事はできるもん。
もちろん、虐待を肯定する事はしないし、しなくていい。
だから、それを無くすためには、虐待や子殺しがあった時に、親を攻めて溜飲を下げることが無意味なだけで済まず、より悪い方向へ追い詰めることなんだとすべての人が気付かなければいけない。
追い詰められて絶望したら、もう取り返しはつかないんだから。
絶望しきってしまったことは本当に一生元には戻らないんだから。
こどもが大切だと思うなら、そのこどもを育てている人も大切にしないといけないんだということが、早く、当事者で痛感している人だけでなく、世の中の常識にならないかな。