たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

ずれた話は疲れる

私の文章やしゃべりは、付け入る隙がたっぷりなんだろうな。
揚げ足を取りやすいというか、枝葉末節を省きすぎて、受け手の好きなように解釈できると言うか。
おかげで、はじめの一言の次から、私の全く題材にしていない、しかし相手が常に主張したいことの話にすりかえられてしまう。
そのせいでネット関連の書き込みも自分にパワーが無い今はがくんと減った。
自分が話題にするつもりもない事でいつまでも「そうじゃなくて」と言い続けるのに疲れるから。
まるで喫煙者のマナーを話している時に、排気ガスの話や税金の話に持っていかれるのと同じ。
もっと他人にどう思われようが、他人をどんな気分にさせようが、どーでもいいと思ってしまえば楽になるだろうが、悪い方に転んだことに気付かない鈍感さか気付いても平気な図太さを持っていないと今度はそれがストレスになる。
そして話がずれた時に、ずれを修正するのも疲れるし、修正しきれないで中途半端になるのもストレスだし、結局私が言いたかった事は完全にかすんでしまって本質は全く誰にも伝わらない結果になると言うのもストレスな上に虚しい。


もう、そんな話これっぽっちもしようと思ってないししたくも無いのに、という羽目に陥らないようには、黙っているしかないのかな…
でも黙っていると、相手の主張を肯定したと勘違いされても困るしなあ。


人生において重要なネタでなければ、大きな声を出したり布団を殴ったりしてストレス発散させて、忘れてしまうのが一番楽かもしれない。
たいていのネタは人生の中ではどうでもいいことばかりだから。
しかし、忘れたつもりで覚えてると、次の機会にくすぶっていた火種が燃え上がって更に悲惨になるというのが現状なんだよね。


あー、なんか、こういうこと気にせずとことん話ができる相手がいないって言うのは、本当に虚しく悲しいことだなあ……
日々の暮らしが嫌になる。
一度でいいから私の話を少なくとも捻じ曲げない人に、心の中のくすぶりを消せるような話をしてみたい。
その後の心の平穏を思えば、カウンセリング料なんて安いもんだけど、当たりハズレとかもわかんないし、わざわざ予約取ること自体が大きなストレスになるから、だったらすぐに申し込めばいいのにとかいう揚げ足取りは無しね。
…こんなことを気にしてストレス増えるんだよ、ほんと。
書いてなくて揚げ足取られたら、もっとしんどいからね。


希望:心乱されること無く、穏やかに暮らしたい。
それだけなんだけどね。