お手伝い
と言う名の邪魔(^_^;
ソルが自分の幼稚園給食グッズを洗うと言う。
普段ならとてもそんな暇は無いので、そんなことより準備しろと言うのだが、今は時間の余裕はあるのでさせてみる。
嬉しそうに、ソルできるよ、お手伝いする、と言いながら洗うも、そこは三歳、何度実演含めて教えても、なかなか教えたようにはできない。
あまりかかりきりになると、テラがぐずりだすので、ほどほどのところで
「仕上げはおか〜あさ〜ん♪」←なんて便利な呪文(笑)
…ああ、全部自分でやれば一瞬で終わるのに、ふぅ、と思いつつも、こういう段階を経なければこどもが自立できない人間になってしまうので、これも親の仕事だ。
結局、仕上げはおかあさん、になってしまうものはお手伝い。
どんなにたくさん作業をしても、完全に任せられないものは「お手伝い」なんだよねー。
特に、大人の家事になると、お手伝いかそうでないかのさかいめって大きい。
完全に任せられないことは、結局私が最後はしないといけないんだよねー、そりゃしないよりマシだけどしないよりマシなだけなんだよねー、こーやって結局気が抜けないのは同じだしなー、うっかり信用して任せちゃうと次同じ作業しようとした時に、大きくマイナスになっているのをゼロに戻すところからはじめないといけなくて、作業もストレスも倍以上必要になって、それを引っかぶるのは自分だもんなー、……(心の呟き)
なーんて、今の日本には同じようなこと頭の中で呟きつつイライラした人はたくさんいるだろう(笑)
お手伝いかそうでないかの差…
いかにたくさんするか、ではなくて、いかに抜けがなくするか、と言うことなんじゃないだろうか。*1
要は、気を張る人間はその作業をメインでする人間のみ、にできるかどうか。*2
そうして初めて「分担」ができる。
もちろん、「たくさんお手伝いする」のは、「ちょっとはお手伝いする」に比べたら、ずっといいことだからね(笑)