たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

諸事情によりいくつかの書きたいことをまとめちゃってるから要旨がわかりにくいだろうけど

あー、どうも頭から離れない。
結局、お金をもらわない日常生活のお仕事って、いろんなところにハレとケがあって、ケの部分は気がつく人に回ってくるのに、ハレだけに手を出しているほうが自分も他人もよくやっているように一見思っちゃうんだろうな。
ケの部分に気付かない人は、結局抜けが多すぎてメインで主婦や主夫する能力は低いのに。
そして、ケの部分をしてくれる人に対する感謝は、しても「これもこれもしてるんだよ?必要なんだよ?」と言われて初めて気付くか、別に自分はそこまでしなくていいしー、とか思うんだろう。
やっぱ、その作業自体が好きか、「こ〜んなとこまで気がついてかいがいしく家族のためにお世話する自分ってステキ♪」と自己満足できることが快感なタイプで無いと、専業主婦/夫なんて(精神的にも物質的にも)報われなさ過ぎてやってらんないな。
せめて、気付いてもらって感謝の意をきっちり示してもらわないと、ほんと、やってらんない。
逆に、ハレだけやって、「こんなにしたんだよ〜。褒めて褒めて。」と言って、「(気付いてないのかあれしてないしこれしてないし完成度低いし時間かかってるしなにより下手な分後始末にかえって手間かかりそうなんだけどしないよりはるかにマシだしここでそれ指摘しても逆切れして二度としなくなるよりは少しずつ成長していって欲しいからいい加減疲れてきたけれど)よくできたね。ありがとう。(って言っておこう。でも、いったいいつまでこの状況を続けたらいいんだろう…)」と言う状況は、その辺に大量に転がっているんだろうな。
ハレだけで褒めて褒めてと言う方ならどんなに楽だろう。


とりあえずこのところずっと辛い体をおして、こども達にお片づけを一生懸命「自分でする」ように指導誘導していたから、片付け方がどんどん上手になってきた。
私がそうやってこどもに片付けさせる状況を作って、さりげなくうまくできるように誘導していたら、おとといくらいから、私が言わなくても相棒もこどもに片づけを促すようになってきた。
何度も相棒に口で説明し、実践の場を目の当たりにしたことで、どう促せばこどもがお片づけできるように動くことができるかやっとわかってきたようだ。
朝の支度も、あれやれこれやれというほうがかえって大変だけど、少しずつでも習慣づけて自分からできるようにと、少しずつ「自分で」を増やしている。
最近ルナは自発的に顔を洗うようになってきたし、靴下を引き出しから出して履くし、食べる前には手を洗う(今までは座ってからウェットティッシュで拭いていた)。
ソルは体格的にまだ難しいが、ルナの真似をしたがっているので、もう少し大きくなったらすぐにできるだろう。
とはいえ、今はしなくていいことやできないことまでしたがって、かえって大変なのだが。
ほかにも、いろいろと今までできなかったことがどんどんできるようになっていく姿を見るのは嬉しい。
本当にこどもは素直にどんどん成長する。
忍耐をベースに苦労したことが、目の前で報われていく。
そして、成長した本人にとっても大きくプラスになる。
これならば、褒めて褒めてと言われなくったって、褒める気にもなるものだ。


こうやって、少しずつ自分のことは自分でできるようにしていきながら、自分ですべきことに気付いてできるようになり、そのほかにも誰かがしないと回らないこともたくさんあることにやっと気付き始め、自分もその誰かのうちの一人であるという自覚が出てきて、自分も含めた家族が気持ちよく暮らすためには自分がその誰かになることも必要だとわかり、実際に行動に移せるんだろう。
もしくは、それをしてくれる誰かに、感謝の意を持つことができるんだろう。
そうなってやっと、しなくて平気とかちょっとやって褒めてとかいうのがいい年になっている人にとっては情けなく恥ずかしいことであるとわかるんだろう。
しかし、それがわかるように段階を踏まえなかった人には、決してわからないんだろう。
身につけることは、一朝一夕には絶対に不可能だ。
しかも、大人になってからでは、成長度合いが幼少期と比べて雲泥の差だ。
少しずつ、頑張って、遅くとも家から出るまでには、こどもたちにそのことをしっかり身につけさせていたいと思う。
それは、親の役目だ。