たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

こどもの性別のこと

まずは、長い前置きから。


おなかの中のこどもは男の子だった。
正直、三人目ができるまでは、ちょっとした理由で、男の子を一人は育ててみてもいいかなと思っていた。
しかし、できてからは、上の二人があまりにも可愛いので、きっと次も可愛いだろうと思うと三姉妹もいいよな〜。買い足す服もそんなに要らないし、と思っていた。
初めて妊娠した時に、こどもの性別どっちがいいとかぜんぜん考えていなかったのと、なぜか生まれた後を想像する時に「相棒と同じ顔したこどもがおんなじことやってるほほえましい姿」をよく思い浮かべていた。
なぜだか男の子が生まれてくる生活を想像していたのだ。
が、別にその時男の子が欲しかったと言うわけでもない。
そして、プレママ教室で話をしていたら、圧倒的に女の子希望が多かったので、へぇ〜、そうなんだ、と思っていた。


実際こどもが生まれてみて、成長を追っていくと、まさに生物としての違いそのままに、男の子のほうが筋肉質で骨格がしっかりしていて(抱っこしたらわかる)、その分力が強くオムツ換えで暴れた時やぐずってばたばたした時にヒットするパンチや走れるようになってからの目の離せなさなど、生まれてすぐから女の子より体力がいる、と性別の違いは確実にあると実感した。
また、男の子のほうが圧倒的にかかりやすい病気等があるぶん、丈夫さでも女の子より大変そうだ。
そして、のんびり系マイペースのルナの時にはそこまで思わなかったが、とにかくじっとしていない、腰が据わっていないのに立ったとたん歩いた上に常に動きまわっているくせに鼻水が出やすく吐きやすく感染症に弱く月5回以上病院通いすることも珍しくないソルを育てていると、自分の体力がごっそっり出産で剥ぎ取られ、毎月熱を出して寝込むほ産後の肥立ちも悪かった私は、この子が男の子だったらこれに輪をかけて大変だったろう、女の子で助かった…と言う気持ちだった。
どちらの性別がいいとかではなく(実際今の二人の妊娠中にどっちがいいとか言うのはわからなかった)、実質的に女の子で助かったよ…と言う感じだ。


年の離れた兄弟を持つ親は、二人目三人目は楽だと言うが、*1ある程度近い年齢の兄弟をもつ親は、三人になったら3倍ではなく百倍大変になると言う話を聞いた。
私自身、子供が二人になったら、2倍以上大変だと感じているので、3人になったら3倍ではすまないと思っていたが、100倍……
……またもや想像以上だ…


そんな状況で三人目がおなかにやってきて、本当に自分の体が持つのか不安だ。
しかも今度は男の子。
上が女の子だし、ルナの性格から、可愛がってくれるよ、とか、面倒見てくれるよ、とか言われるし、自分もそうだろうと思うが、ルナだってまだ甘えん坊の子供だ。
弟の子育て要員として期待しすぎるのはかわいそうだ。
そりゃあ、どうしようもない時は今でも「ちょっとソルちゃん見てて!」と言って、トイレに行ったりお風呂を洗ったりするが、元から当てにするのは反則だと思っている。
だから、できるだけ育児の手助けは大人にふるべきだと思っている。
しかし、ふる相手がいない。
しかし、育児は一人では不可能だ。
しかも、確実に体力は今より落ちる。
こどもを産むということは、自分の命の一部を削って分け与えているんだなあと切実に思うから。
産んだ後も、授乳と言う身を削る行為が約一年続く。
本当に大丈夫なんだろうか?
ドリーム的な意味での性別の希望は今でも無いが、男の子だとわかると不安は増えた。
それだけこどもを産むと言うことについて、(特に自分は)安心できない現状なのだ。


と、実はここまでは話がそれそうになってしまったが前置きで、これからが本質。


こどもが男の子だとわかり、友人知人に伝えると、ほとんどの人が「よかったね。」「おめでとう「ダンナさんよろこんだでしょう?」と、嬉しそうに答えてくれた。
えっ?なんで「おめでとう」系の返事?と逆にこちらが面食らってしまった。
「そうかー、男の子かー。」と言うだけの反応はほとんど無かった。
どうも、女の子が二人いるせいか、男の子希望だった、と思われていたらしい。
私も相棒も特に性別に対する希望は無かったのだが、もしかしたら、人によっては、男の子が欲しくて三人目を希望したと思われているかもしれない。
しかし、きっとみんな仮に次が女の子だったとしても、嬉しい答えを返してくれたろう。
それくらい、こどもの性別なんて、どっちでもいいのだ。
私の友人知人は、おなかの中のこどもが男の子であると言う事実を踏まえて、いや、男の子だったからこそ、男の子でおめでとう、と、男の子のいいところ、嬉しいところをピックアップして、一緒に胎児の無事な成長を見守ってくれているのだ。
そうやって、不安に陥る私は、気持ちが救われていく。
だから、命かけて産むわけでも、生まれてから必死に子育てするわけでもない人間が、無責任に生まれてくるこどもの性別をどうこういうのは愚かな行為なのだ。
せいぜいが親兄弟になる人だけが、もし○○なら△△だろうなー♪と、幸せな夢を見る程度のものなのだ。
これは、新たな家族がやってきた後の幸せなワンシーンをせいぜい「女の子だったらこの服着せよう♪」とか、「男の子だったら、機関車に乗りに行こう♪」とか言う程度のことを、ちょっと具体的に考えているだけなのだ。


それに、もう一つ重要なことは、生まれてくる子ども自身への対応だ。
よく聞く話では、無意味な「後とり長男」問題。
それを産む人にも生まれてくる人にも「男じゃないと意味無い、女はいらん。」と言い続ける人達。
また、最近あるらしいのは、女の子希望で男の子だったので、それを嫌だ嫌だとこどもに言い続けている人達。*2
ずっと自分の身勝手で無意味な希望で、一人の人間を否定し続ける行為は許されざるべきものではないのか?
その子の人格形成に、暗い影を落とし続けることになるとわからないのだろうか?


生まれてくるこどもの性別は、親兄弟がちょっと夢見る程度のもの。
それを外野がとやかく言うもんじゃない。
特に、「男だったら○×に決定!だから男だ!」「×○には女で無いと駄目!だから女に違いない!」と言うような感じで決め付け、それを生まれるまで期待するものではない。
それは、本当に愚かな行為なのだ。


こどもは、無事に生きていてくれるだけでいい。
できれば、健康に。
それだけは強く願う。

*1:子育ては経験済みだし、上の子の手がかかる時期は終わり、逆に下の子と一緒に遊んだり面倒を見てくれたりするから。

*2:ただ、これに関しては、産み育てる苦労とモチベーションのために、本人の耳に入らないように愚痴ることはあってもいいと思っている。女の子も欲しかったな〜、くらいなら、きちんと愛されている確信がこどもにあるなら、自己否定にもならないだろう、とも思う。