たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

こどもを守るために必要なのは性教育

Togetter - 「私と子供と性教育」


例の、非実在青少年がどうたらという条例について。
私は、気持ちは賛成派(当然推進派ではない)と同じところにある。
こどもの安全>>>>>表現の自由
しかし、あの条例には反対する。
理由は、あれではこどもを守ることはできないから。
あんなもん無力、無駄、無意味だ。
なぜか?
エロっていうのは内側から湧き出てくる物だから。
外側の刺激をゼロにしたって、キャパを超えたら勝手にあふれ出すもんなんだよ。
本能なんだから。


条例に関して、私も物を作る人間だけど、誰が何と言おうが、こどもの安全>>>>>表現の自由だ。
何で他人の自己表現のために我が子を危険にさらさなければならないのか。
だから、こどもを守れるものになら賛成する。
しかし、こどもを守る力のない、規制のための規制なんて、後からエスカレートさせるためのこじつけのはじめの一歩だよ(と思っていたらやっぱりそうだった)。
規制のための規制をしたい人たちが、大事なこどもを出しに使うなんてなんと腹立たしいことか。
それに、規制をするなら、マンガやアニメよりも先にAVだ。
AVを鵜呑みにした頭の悪い男のせいで、病院に行くはめになった女の子の話がこちらにある。
http://miyoko-diary.cocolog-nifty.com/blog/
これだけはっきり結果がでているのに。


だから、こどもを守り、間違った性情報で傷つく人を減らしたいなら、性教育をきちんとするしかない。
たとえ、酷く女を痛めつけるようなAVを見て楽しむような男にも、実際の女にこんなことをしてはいけない、それは傷害罪だ、それ以前に人として失格だ、と自分で気づくことができるレベルの性教育が必要なんだよ。
勝手にあふれていく自分の中のエロと、どう折り合いを付けるか、どう処理していくか、自分も他人も傷つけずに、どうすればいいのかを自分で制御できるようにもっていけるのが一番いいんだよ。
それに、どんなに教育しても、残念ながらその効果が無い人も中にはいるだろう。
そんな相手に傷つけられないように自衛をするすべを知らないといけない。
性教育無しでは、自衛の仕方どころか、自衛の必要性を教えることもできない。


反対する理由のもう一つは、推進派に更なる勘違いをさせたくないからでもある。
具体的には、「この決まりを作ったからもう安心」と言う勘違いをして欲しくない。
決まりがあったって効果が無かったら、「決まりがあるのにこうなるなんて、○○のせいに違いない」と、さらに勘違いが広がる。
勘違いがどんどん広がるだけで、根本が間違っていることに気づかないから、こどもの安全は守られないまま放置される。
そんなことは許さない。
言ったでしょう?一番大切なのはこどもの安全だと。
「こどもの安全>>>>>表現の自由」なら、当然「こどもの安全>>>>>推進派の勘違い」なんだよ。


必要なのは性教育
自分を尊重し、他人も尊重できるようになるように。
私は、性教育って言うのは、命を大切にする教育ともいえると考えている。
だから、自分でも機会があれば性教育はしている。
というか、毎月一度はしている。
生理中にこどもをお風呂に入れたら、血が出てるよ、と言われるんだから。
それに続く「なんで?」を説明しなかったり、嘘を教えたりと言う選択肢は私には無い。
ごく簡単に一言二言返す。
そうすると「ふうん(そうなんだ)」で終わる。
そして、だいたい、あなたたちが生まれてきて本当に嬉しかった、とにかく元気に大きくなってくれることが嬉しい、辛いことがあったら助けてあげるし逃げてもいいから、自分で死ぬことだけはしないでね、おかあさんはずっとあなたたちの味方だよと言う流れになる。
そういうのが積み重なって、更なる質問が出てきたりすると、やはり一言二言返し、あなたたちがいかに大切かを言える機会がまた増える。


将来、娘には、どんなに他が立派でも、セックス強要する男はその場で切り捨てろ、息子には、やり逃げするな、だけは徹底して欲しい。
そうできるだけの知識と思いやりと強さが持てるように育てるのが、親の使命。


ずっと前からいろいろ思ってはいたんだけど、それでもまだ自分の中でまとめ切れていないんだけど、今書いておかないと、話がどんどん進んでいきそうなのでつたないけれど一度書いておく。
もしかしたら、よーく考えたら、正反対の意見になる部分もあるかもしれない。
(まだすべてをふかーーーく考えられたわけではないので。)
しかし、子を持つ親として、「こどもの安全>>>>>表現の自由」、「こどもの安全>>>>>推進派の勘違い」、同様、こどもの安全より優先させる他人の権利は無い、と言うことだけは変わらないだろう。
他人の権利のために我が子を犠牲にするなんて、とんだ毒親だよ。


しまらないけど、時間も押しているので、今はここまで。


追加。
自分自身は、どうやったらこどもができるかと言うのは、小学校高学年の時にそろそろ読んでおいたら、と親がさらっと渡してくれた本を読んで知った。そういう流れだとやりやすそうなので、自分も必要な時にさらっと渡せるように、良い本を用意しておかなくてはと思っている。