たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

その1 箇条書き風

人を創るもの。
ひとは、命の器からできている。
命の器は二種類ある。
ひとつは、体の器。
もうひとつは、心の器。
人が生まれるときに、おかあさんの命の器を赤ちゃんの分だけ削り取って創られる。
生まれたばかりの赤ちゃんは、おかあさんの器の一部から創ってもらった命の器に、元気の素を入れていくことで大きくなる。
元気の素は、食べ物や飲み物だったり、楽しい体験や嬉しい体験だったり、ぎゅうっと抱っこされることだったり、会話する相手がいることだったり、いろんな種類のものがある。
それを、全身に浴びながら、自分の器を満たしていく。


生きるために動いたり考えたりするのには、元気の素を使う。
そして、使わなかった分を大切に器にためていく。
元気の素が器にたまると、それを材料にして、少しずつ器を大きくしていくことができる。
食べ物を食べて、動き、体が大きくなるように。


元気の素が足りなくなると、器を薄く削って、中身を満たしていくことになる。
なぜなら、器が空になると人は生きていけないから。

元気の素が少なすぎて、器が乾いてひび割れたりしないように、最低限度必要な量がある。
さらに、その最低限度をすぐに割らないように、何かするためには一定量以上の元気の素が必要になる。
頑張りすぎて、元気の素を使いすぎたときには、また最低限度まで戻るまでは元気をためないといけない。
最低限度たまった後、動くために必要な一定量になるまでは、うっかり元気を使わないように気をつけることも必要になる。


体の器にたくさん元気の素があり、心の器に少なくなっているときは、体の器から心の器へ元気の素を移すこともできる。
どちらか一方でも空にする事はできないから。
もちろん、心の器から体の器に元気の素を移すときもある。
元気が少ないときは、少しずつ、移し合いながらどうにかどちらとも元気を保っていく。


元気の素が足りなさ過ぎて、器をむやみに削ってしまうと薄くなって穴が開く。
大きく見える器でも、途中に空いた穴以上に器を満たすことはできない。
しかし、器はさまざまな色に輝いているので、その穴が小さいうちは、器の持ち主でさえ目に入らず気付かないこともある。


おかあさんは、こどもに命の器を分けたあと、器が元に戻るまではたくさんの元気の素が必要になる。
そして、器が元に戻るまでは、産む前と同じように元気にはなれない。


人を育てるためには、ものすごい量の元気の素が必要になる。
自分のために必要な分と、育てる相手を満たすための分も。


運悪く悪意の素を浴びてしまった時は、それ以上の元気の素を使うことで消すことができる。
悪意は人の命を蝕んでいく。





…なんてことが、ふっと何かをきっかけにして、何度も何度も頭に浮かぶ。
その都度、それに関連することが一つずつ。
そのうち、きちんとまとめてみたいと思う。
そのために、ある程度項目がまとまったら、こうやってメモしたり推敲したりしていくと思う。
何度も同じようなことを書くかもしれないが、ふっと気付くことを繰り返すたびに、その同じようなことの中身は、無駄や濁りが無くなっていく。
最終的に簡単な言葉に行き着くことを願っている。
もう、過去の偉人が既に言葉にしているかもしれないけれど。
ただ、それが自分の内側から出来上がってくると、同時に自分の中の濁りや無駄が無くなっていくのを感じる。
それを少しずつ無に近づけていき、わけのわからない重苦しさから開放されるために、書いていきたいと思っている、ような気がする。