たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

ルナ

ちょっと、いや、だいぶしんどいけど、ここ数日で思ったことを書いてみる。
うまく書けそうにないが、伝わると嬉しい。


清少納言は、小さいものはみんな可愛いと言った。
本当にそうだと思う。
小さいと言うだけで何でも可愛い。
小さい物好きの私でなくても、小さいものを可愛いと言う声はよく聞く。
そして、人間に限らず、赤ちゃんは皆可愛い。
それが生物の作戦であろうと、可愛いもんは可愛い。


赤ちゃんは一言で表せば、「無垢」だ。
これ以上に純粋な存在はこの世に無いだろう。
それが成長とともに、少しずつ無垢で無くなっていく。
だから、生後間もなかったり、成長が緩やかだったりするほど、無垢なのだ。
小さいだけでも、無垢なだけでも、とてもいとおしいのに、その両方を持っている赤ちゃんは最強だ。


まだ今でもテラの寝顔を見ているだけで、そう感じる。



しかし、人は成長する。
いつまでも無垢なままではいられない。
自立するためには、目に見えるもの、見えないもののいろいろな成長が不可欠なのだ。
そして、親の役目は、こどもを自立させることに他ならない。
可愛い可愛い無垢な我が子を、穢していく(笑)
なんて辛いことだろう。
しかし、親は我が子の無垢な時を良く知っている。
こどもに本当にかかわったぶんだけ良く知っている。
小さいうちは、まだまだその部分が大きく、厳しくしつける一方で、手放しで可愛がることができる。
俗に言う「親バカ」。


その親バカも、おおっぴらにできるのはそろそろ終わりのようだ。
そうするには、何かと不都合も多かろう。
そして、持てる個性がどのように伸びたり隠れたりして、どう成長していくか。


人と言うのは、つまるところ、得手不得手と好き嫌いなんだなとまた別の思考から思った。
そう思ったら、とにかく全否定していたカテゴリに属する人を、全否定する必要もなくなった。
そういう人たちとは、私は好みが合わず、大切にしているものが違うだけなのだ。
ただ、その中で譲れない部分が重なり合っていたならば、全否定する事は無いのだ。
重なっていなくても、別の誰かにとって必要なんだと思える部分がその人にあれば、やはり全否定する必要は無いのだ。
なんだかんだ言って、誰にでもそういうところはある。
ありふれた言いかたしか思いつかないけど、あたりまえに誰もが存在する意味があるんだ。
逆に、とてもすばらしいと思っていた人の中に、自分には受け入れられない正反対の部分があったとき、それをどうするか?というのも、同じことなのだ。
譲れない部分、深く共感する部分のバランスと、「相性」が好ければ、それぞれの範囲でつきあう、そういうことなのだ。


無垢なこどもは、何が得意になって、何が好きになるかはわからない。
わからないうちは、どうせ穢す(笑)なら、自分の好ましいと思っている方向へ導く。
そこに元からある、つぶそうとしたところで決してつぶれない、「個性」があいまって、成長に伴う発現の仕方が変わってくるのだろう。
ここで、自分のベクトルとこどものベクトルがずれていることに気付いた時の振る舞いが、親の腕の見せ所の一つだろう。
正反対だと、下手すればこどものベクトルはマイナスを向いてしまう。
ほぼ同じだと、最高値を示せなくとも、結構良い線行くかも知れない。
ぴったりだと、その分他の方向に向く時には、ものすごい苦労があるだろう。
いろんなことに対するベクトルが影響しあって、一番居心地よくいられる場所を手に入れるために、どうすればよいか?
答えは一生かからないと出てこない。
せめて結構いい感じ、くらいに、まだ自分の庇護の下にあるうちに落ち着いて、そこで思いっきり好きなように、のばしたい方へベクトルをのばして欲しい。
そう思うと、いつまでもただ導くだけではダメで、途中から自分で好きな方向を決める力を持てるような導き方をしていかないといけない。


それがきっと「学校」に通いだすようになる頃。
ルナが成長して、生活のすべてに手がかかることが無くなったり、勉強の疑問をたくさん聞いてきてくれたりするようになることが嬉しい反面、手放しで可愛い可愛いと言えなくなってしまう事がとても寂しい。
分別がつき始める4歳頃から、着替えやトイレなど一通りのことができるようになるけれど、まだ「小さいこども」である幼稚園の間って、ある意味一番幸せな時間かもしれない。


ソルを産んでから、結局4年以上も自分がボロボロで、ルナの幼稚園時代はそこで終わってしまった。
もっと幼稚園の行事に参加してあげたかったな。
ルナは、そういう要求をしてこないタイプだから、なおさら。
でも、元気が足りなくて、どうにか日々ついていくのがやっとだった。
一人ではとうてい手が足りなくて、相棒の休みの日を待っているうちに月日は流れていった。
なんてもったいないことをしたんだろうと思う。
しかし、堪能するには本当に悲しいほど体力が足りなかった。
それでも、ルナは幼稚園時代をすごく楽しんでくれた。
そして、小学生になることを、すごく楽しみにしている。
だから、もったいなくはあったけど、悲観するような事は何も無いんだろう。


これからは、また今までとは違う刺激がたくさん待っている。
私から見て、とても好ましく成長してくれているルナは、その刺激をどう受け止めていくんだろうか。
まだまだ舵取りを急に緩める事はできないけれど、今までとは違った手ごたえを感じることになるだろう。
そして、緩めていっても、たがをはずせば心の底から親バカ全開にできるような、そんな子に育っていって欲しい。
こどもを育てて、育てなければ決して気付かなかった多くのことを学ぶことができた。
ありがとう、ルナ。
あなたは、それを私にはじめて教えてくれたんだよ。
私も、今まで同様、その部分での手抜きは絶対にしないから。


可愛い可愛い、可愛いルナ、卒園おめでとう。