たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

本文でもちょっと同感してうるっときたけど、

http://blog.livedoor.jp/wagamama_hime/archives/16256582.html

読んだら、とてもうなずきそうな気がする。


だいたい、いま私がなぜ寝ないでこんなことしているか、未経験の人にはわからないだろう。
なぜ、ちょっとの合間にちょっとした仕事をしないのか、
なぜ、一日家にいるのにこんなに散らかっているのか、
なぜ、「自分の時間が欲しい」と言うのか…


例えば、自分の時間、と言うのは、自分の趣味などで好きなことをする時間のことではない。
今の精一杯の言葉で説明すれば、「こどもから安心して意識を完全に離しておける、かつ、そのツケが後からやってこない時間」が欲しい、ということだ。
もしかしたらもっとうまく説明されているのかもしれない。


せめて、大人とちょっとでいいから会話がしたい。
できれば、荷物の受け取りや社交辞令の短い挨拶以外の話をしたい。
泣き喚き足に擦り寄って暴れてテーブルに頭をがんがんぶつけるこどもがいつもいる状態での食事ではなく、短時間でいいからただ食べることだけをすればいい食事がしたい。
私の背を見ると泣きながらよってくるので、どうにか隙を見て泣かないように…と、ぎりぎりまで我慢したけど、結局見つかって、我慢した上にずっと泣き喚かれながら、という状況でなくトイレを済ませたい。
おふろなんて…もう、短くまとめて書けないよ……
しかも、元気いっぱいではなく、産後のまだ回復しきっていない状態でこれ。


忙しくってもいいの。
世話をすることが嫌なんじゃないの。
料理だけしてるわけじゃないの。
掃除だけしてるわけじゃないの。
こどもの世話だけしてるわけじゃないの。
夜更かししたいわけじゃないの。
朝寝坊したいわけじゃないの。
体が持たないの。
イライラが治まるより増えるほうが早いの。


虐待を減らすためには、母親に、あせらずに食事をするための時間と、あせらずにトイレに行くための時間と、あせらずにお風呂に入るための時間と、十分な睡眠時間と、せめて大人代表としての夫との会話の時間を与える、というのはどう?
ちなみに、今日も相棒とまともにしゃべってません。
業務連絡ばかり。
あとは荷物の受け取りの人くらいか。
たまたま母から電話があって少ししゃべったけど、それが無かったら、今日も大人と話をしていないことになる。
今はまだ近所の人や幼稚園の先生とちょっと話す機会が増えたけど、ソルを産んでからルナが幼稚園に入るまでの間はほんっとにひどかったな。
きっと、しょっちゅう「大人と話がしたい」と日記に書いていたと思う。


多くの苦行を経て、感じたことは、私がこんな状態でこどもは幸せなんだろうか?という疑問。
だってさあ、いつもおかあさんがイライラして怒鳴り散らしながら生活するより、ヨソのエライヒトにこんなことではいかん!と言われたって(それもストレスだけどさ)、にこにこおかあさんと楽しくやってるほうが幸せじゃないの?
そこから、こどもが幸せになるためにはその母親が幸せにならないとダメだと考えた。
そうすると、母親を責めるだけ責めて具体的で実現可能な改善策を出さない人や、何の手助けもしない人の言うことは、どんなに「正しい」ことだって聞かなくていいよ、という境地に達した。
おや?個々で更に気付いたこと。
本当にありがたい手助けや助言をしてくれる人は、誰も母親を責めない……
だいたいねえ、「正しい」ことなんて、ほんとは母親が一番そうしたいと思ってるんだよ!!


だからいいんだよ、ゆったりで。
「正しい」ことが、なぜ「正しい」のか、それがなぜ実現できないのか、その場合どう対応すればいいのか、必要なのはそこだよ、そこ。
例えば掃除なんかしなくたって死にゃしない、でも喘息にはほこりはマズイ、ってことや、赤ちゃんの頭の向き癖は神経質にならなくてもいい、けど全く気にしないでいると癖が強くなって「頭いがんでる」と言われて傷つくから*1、ふと気がついたときに向きを変えるくらいがいい、など。


そんなこと+αを、頑張っちゃってるママたちに向けて書こうと思いつつ、なかなかまとまった時間が取れなくて書くには至らない。
(私も細切れはダメで集中タイプなので。だからここも支離滅裂でもぶった切りでもOKな「日記」にしている。)


この本、探して、読んでみようかな。

*1:ルナ4ヶ月の時のことがずっと心の傷になっている。こどもに対する否定めいた内容は、ネタやらギャグやらには絶対にならない。母親を追い詰めるだけだ。