たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

こっちは、泣ける……

http://blog.livedoor.jp/hourou2ch/archives/50357634.html#trackback

泣ける。
今妊婦だから、余計に泣ける。
世の中、(分娩中まさに危ない状態の時に)嫁は死んでもいいから孫を助けて!とか、(予定外にこどもができちゃって)嫁はいらないけどこどもは欲しい!とか言う人が実際少なからずいることを思うと、怒りつつ泣ける。
そういうことなんだよ?暴言者たち。
わかってないでしょ?
しかも、平気で妊婦・妻・嫁の前で言ってたり。
わかってたら、もっとひどいね。ただのヒトデナシだ。
少なくとも、自分の娘は、そんなことを言う人間(が近い親族にいる相手)との結婚は反対だね。
「あなたの娘は使い捨て子産みマシーンでーす。」
なんていう意味のことを堂々と言ってのけることのできる奴の生贄に大事な娘を捧げる気は毛頭無い!
そんなつもりはないとか言ったって、こっちとしてはそう言われたも同然。
こちとら、命張ってんだ。
産むまでは常に。
産んでからもいざとなったら。


少し前の事件にあった、ベビーカーの我が子をかばうように、しかし、共に刺されてしまった親子。
その親の気持ちは痛いほど、泣けるほどわかる。(て言うか泣けた。)
究極状態だと、私もそうする。
しかし、少しでも希望があれば、自分も共に助かる道をとっさに選ぶだろう。
私が死んだら、誰がこどもたちのためになにもかもできるの?
そう思うと、簡単に命を懸けてこどもをかばうことも難しい。
相棒は、後は(私に)託した!と、最大限自分が死んでもこどもを助けるほうに動く、と言っていた。
また、こども一人と二人で助かる確率が変わりそうなら、とにかく一人を高確率で助けるほうに動くだろうとも言っていた。
私は、こどもだけしかし全員、で動いてしまうだろう。
もちろん、お互いそんな相手の行動予想を否定していない。
そうだろうな、と思っている。
母親と父親の違いって、そういうところだと思う。
それが、究極の役割なんだろうか。
そしてまた相棒は、生まれたこどもを目の前にした時は、私を見捨ててこどもを助ける、しかし生まれるまでは、分娩時などで究極の選択を迫られた時は、私を助ける、と宣言している。*1
それだけでも、相棒と結婚してよかったと思える。
なんか、書きながら泣けてくるんだけど、この気持ちはわかる人にはわかるだろう。


どれもこれも、親になる可能性が出てきて、そして親になって、はじめて気付いたこと満載だ……


今、私は毎日命がけです。

*1:しかも、私がふったわけでもないのに、最初の妊娠の時、自分からきっぱりと話題にして言い切ってくれた。感謝。