たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

見せかけの自由

自由すぎて=小林洋子

果たしてそうだろうか?
自由と言いながら、社会圧をかけていないだろうか?
本人の能力以上のことだけを認めようとしていないだろうか?
やるだけ無駄なことが解っていて頑張れる人はそういない。
そして、食べるために働く必要がないので働かない人は昔からいくらでもいる。
そんな環境を与えていないだろうか?
人生の道案内は誰がしたのだろうか?
「好きにしなさい」
学ぶこと無しに、その一言だけで好きなことができるこどもはいない。
最低でも「見せる」(=まねぶことが可能)、次への飛躍の機会も与えるなら「教える」、それが必要だ。


私と相棒は、
「自分の好きなこと、できることをどんどんこどもに教えよう、その中から、どれを選び残すかを決めるのはこども自身だ。そして、そのどれも気に入らなければ、広がる世界の中で自分で見つけた物を選べばいい。見つけられなければ、私たちが教えた物から選べばいい。ただし、それを選ばなかった違う立場の人に対して卑屈になってはいけない。」
と言うようなことを伝えようと話したことがある。
そのなかで、最も難しい、違う立場の人に対して卑屈にならない、ということができる人に育っていって欲しいと思う。
私たちも頑張る。