たまごや日記

日記だから文章はてきとう。過去の私と今の私の間には別人になるようなエピソードが挟まっているかもしれません。

特定条件

id:DAIさんのところのコメントの補足です。
いわゆる子育て論は、「自慢派」*1、「一応親切派」*2、「説教派」*3などがあるように思います。
やっぱり私も、こういう場合もあったよと参考程度にしてねと前置きを置いて「一応親切派」のつもりのことは言ってしまいます。
気持ちとしては、自分が大変だから、「こうしたら楽だった」ということを伝えて、少しでも「楽になるために」役に立たせて欲しいと思っているのですが、それも相手の状況によるかもしれません。


しかし、ある「特定人物」*4に、「特定の言葉」を言われると、積もった塵が一瞬にして山になり、噴火します。
これは人によって相手も言葉も違うと思いますが、「あんたには言われたくない」とか、「これだけは言われたくない」というものの複合でしょうか。


もともと生活時間のことなんかかなり気にしていたし、出産以降、どうもそのオンパレードでいまだにそれがくすぶっているらしく、そのせいで気持ちがあせってイライラする方へ行きやすくなっているのだと思います。
おかげでこどもがわりをくってしまう。でも、こどものために思い悩むせいでこどもが悲しい思いをするのはおかしい。


そうなると、私の持論、「一番子育てをしている人が、精神的にゆとりをもてないといけない。楽にならないといけない。」を出したくなるのですが、そうすると、余計な口を挟む隙ができてしまい、堂々巡りに。


実は今、堂々巡り防止のために策を弄しているのですが、気力体力が不足して、いい案すら浮かばないまま「特定人物」との接触の不安だけが肥大しています。
気にしてもどうしようもないけど、衝撃が大きいだけに、気にせずにはいられない、ああ、よけい考えられないよー!!
…という状況なので、きっと些細なことで気持ちの余裕がすぐなくなるんでしょうね。


早いとこ秘策を確立して余裕を取り戻したいと思います。


ちなみに、トイレトレーニングは先日のようなことの方がイレギュラーです。もともと、ルナちゃん本人が「トイレ行く」と言いだしてから急いでグッズを買い足したくらいで、普段は叱りもせずに「たらたら」進んでいます。ご心配おかけしてすみません。
あ、でも、「おむつとれないと幼稚園入れてくれない」とかだと一気に大きな心労が増えるんだけど、どうしよう…
やっぱり、他の事で自分の余裕がなくなるのがいけないんだよね。
日々、どうしたら楽になるか。目下のところ模索中です。

*1:とにかく自分はこんなに苦労して子供を育てたと言いたいだけ。聞き流せばいいので害は無い。せいぜい「すごいですねーえらいですねー」と言ってあげる程度。

*2:本人は、相手のためを思うアドバイスのつもり。相手を楽にしてあげようというもので、それが伝われば嬉しくありがたい。が、的をはずしていたり、押し付けがましかったりすると次の説教派と変わらない。

*3:自分がこうしたからそれが正解、タイプ。ひどくなると子育て経験は無いがこうするのが「常識」という人も。自慢派と複合していると最悪。

*4:これは、ぜひ一緒に子育てをしたい相手と絶対に口も手も出さないで欲しい相手の両極端の場合が多い。